このお墓のコントリビューター:小島裕史 (Randy Rhoads Memorial Project)
ランディ・ローズ(本名 Randall William Rhoads)は 1956年 12月6日 カリフォルニアのサンタモニカで生まれた。 間もなく両親が離婚したことで、兄のケル(本名ダグ)、姉のキャシーと共に、"Musonia School of Music"という音楽学校を経営する母のドロレス一人の手で育てられた。 7歳くらいからギターを始めたランディは祖父から譲り受 けたギブソンのアコースティックで姉のキャシーとともにレッスンを受け、ポップスなどを弾いていた。12歳くらいの頃、ロックにはまっていったランディはMusonia のエレクトリック・ギター講師スコット・シェリーからギターを学んだが、あっという間にスケールなどを学び、レッスンの必要性はなくなるくらいの上達ぶりだった。
ランディは近所に住む同級生ケリー・ガルニ(b)にベースを教えながら、彼と近所の裏庭のパーティなどでジャム・セッションをし始める。後にヴォーカルのケヴィン・ダブロウを向かえ、1976年にQUIET RIOTで本格的なバンド活動を地元のクラブを中心にスタートさせる。
バンドは活動を続けるうちに、ANGELなどが所属しているトービー・マネージメントと契約し、メジャーデビューを図るが、アメリカのレコード会社には相手にされず、唯一興味をもったのは日本のCBS ソニーだけだった。そして1978年3月に『QUIET RIOT( 邦題:静かなる暴動)』で日本のみでデビューし、VAN HALENに次ぐ、LAのハードロック・バンドというプロモーションとともに主に女性ファンからアイドルバンド的な注目を集めた。1978年12月、セカンド・アルバム『QUIET RIOT 2(邦題:暴動に明日はない)』もリリースしたが、セールスは伸び悩んだ。バンドはサード・アルバムのデモテープを作ったものの、セカンド・アルバムの邦題通り、彼らに明日はなかった。
地元LAでは有名クラブ STARWOOD CLUB、WHISKY A GO GOなどで常に満員にするほどの人気を集めて、特にランディのギターは話題になっていた。しかし世間でのニューウェイブ、ディスコ・ミュージックなどのムーブメントの煽りもあり、バンドはアメリカでデビューができないまま暗中模索していた。そんな中、ローカルバンドで活動していたベーシスト、デイナ・ストラム(後にVINNIE VINCENT INVASION, SLAUGHTER等で活躍)の仲介により、BLACK SABBATHを脱退し、ソロ・プロジェクト結成のため、ギタリストを探していたオジー・オズボーンのオーディションを受けないかという連絡が入った。
Musonia でのギター講師とQUIET RIOTの活動の生活に満足していたランディはオーディションに気が乗らなかったようだが、母のドロレスの後押しもあってオーディションに向かったところ、即座にオジーに気に入られ、オジー・バンドのギタリストの座を獲得した。まもなくイギリスに渡り、オジーらと曲作りに入った。オジーはサウンド面でのリーダーシップをランディに取らせ、絶大なる信頼をもっていた。1980年3月からレコーディングに入り、9月にファースト・アルバム『BLIZZARD OF OZZ』をリリース。 BLACK SABBATH時代からの悪魔的ヘヴィー・メタルのイメージは残しつつも、ランディのギターによるドラマティックで哀愁を帯びた壮大なサウンドはブラック・サバスとはまったく違うアプローチで、新生オジー・バンドの誕生とともにランディ自身の才能が本格的に開花された。 失意の中、BLACK SABBATHを脱退したオジー・オズボーンにとってランディは救世主であり、ランディがいなかったら今の自分は無いとオジーは語っている。
バンドは勢力的にツアーを慣行し、多忙な中、楽曲としての完成度も高めたセカンド・アルバム『DIARY OF A MADMAN』を1981年10月にリリース。アルバムセールスとともにツアー各地でも熱狂的な支持を受け、ランディもベスト・ニューギタリストとして評価されていった。しかしランディにとってロック・ビジネスの生活は性に合わず、大学でクラシック音楽の学位を取り、クラシックギターの修士号を取る夢を抱きはじめ、バンドを辞めたいとオジーにもらしていた。
そんな矢先、82年3月19日、悲劇は突然起こった。ツアー先のフロリダ州オーランドへ向かってバンドのツアーバスで移動中に、ツアーバス会社のあるリーズバーグで休憩をしていた朝方、パイロットの免許をもっていたバスの運転手がセスナ機での遊覧飛行を提案。第1便にキーボード・プレイヤーのドン・エイリーらが近くを回った。続いてランディと衣装係のレイチェル・ヤングブラッドが乗り込み、何週か旋回した時、翼がバスに接触、バランスを失ったセスナは近くの民家のガレージに突っ込み、炎上、3人は帰らぬ人となってしまった。 享年25歳、オジー・バンドとしては実質1年半くらいの短い音楽活動であったが、ランディの遺した功績は26年過ぎた今日でも輝き続け、多くの人の心の中で生き続けている!
●筆者とランディの音楽との出会い 1964年生まれの私は70年代後半にKISS、DEEP PURPLE、LED ZEPPELIN等でロックに目覚め、同時にエレクトリック・ギターにもはまっていった。ハードロックを中心にいろいろなバンドを聴きあさった中にBLACK SABBATHを脱退したオジー・オズボーンがリリースしたファースト・アルバム『BLIZZARD OF OZZ』があった。レコード盤に針を落とすと、'80年代の幕開けを感じさせるメタリックなサウンドはとても新鮮であり、何より壮絶で美しいギターに一発でノックアウトされた。アルバムの帯裏を見るとギタリストは元QUIET RIOTのランディ・ローズとクレジットがあった。
クラシックを基調にしたスケールで繰り広げられるギターはソロ全体にも大きなメロディがあり、一音一音に感情がこもったランディのギターはまさに後にも先にもないタイプであった。ランディのサウンドには激しさと柔らかさの静と動が混在し、それはルックスにもあらわれている。普段は周りも和ませるような優しい雰囲気であるが、ステージ上ではアスリートのような 力強い姿という二面性をもっていることも魅力の一つだった。こうして私はどんどんランディにはまっていった。
セカンド・アルバム『DIARY OF A MADMAN』も期待を裏切らず完成度の高いアルバムで、何度聞いてもその都度感動があり、飽きることはなかった。そんな時代、洋楽に関する主な情報源は音楽雑誌、ラジオ中心であったが、洋楽の最新情報、PVを流す千葉テレビの「テレジオ7」という貴重なテレビ番組があった。毎週その番組を楽しみにしていたが、ある夜、最新ニュースということでランディ・ローズの訃報が報じられた。呼吸が止まるほどのショックとともにあまりにも短い生涯と将来の期待に涙がこみ上げたのを憶えている。
ランディの性格は控えめで、もの静かでシャイだったという。しかし音楽に対する情熱はとても熱く、ギターを何より愛していた。内面的に強い信念をもった人であった。常に自分の音楽を向上させようとする姿勢にも尊敬するものがあった。ハードなツアースケジュールの中でも一人楽屋にこもって譜面を見ながらガットギターの練習するのが日課だったという。ツアー先の土地土地ではイエローページでクラシックギターの先生を探し、レッスンを受けていた。たいがいはランディのギターのほうに興味をもたれ、逆に教える立場になってしまうことも度々だったというエピソードもある。ようやく世間からスーパーギタリストとして認められていながらも、決して驕った態度はとらず、地位や名誉よりもランディには音楽をやることこそが幸せだった。 常に今の自分には満足せず、向上心にあふれている。このランディの純粋さが「音」に投影されていると思う。
●筆者なりの追悼活動 ランディの母ドロレスは“Randy Rhoads Charitable Trust”という大学のクラシックギター学科の奨学金制度をおこなっており、 ランディ・ローズの印税もこの基金に使われているという。ランディはオジー・バンドを辞めた後、大学でクラシック音楽の学位を取り、クラシックギターの修士号を取るという夢があり、それは叶わなかったが、ドロレスはランディの遺志をくみ、開花できないでいる才能をもったギタリストと次世代の音楽文化に貢献している。筆者もなんらかの形でランディ・ローズの名と功績を残せればと思う次第である。
●2004年3月18日 ハリウッドのギターセンター“Rockwalk Randy Rhoads Induction”レポート Rockwalkはハリウッドのギターセンター(大型楽器店)のエントランスにあり、ハリウッド名物のハリウッド・スターの手形や足型があるWalk of Fame のロック版といった感じで地面には現在活躍中のアーティストの手形、壁にはすでに亡くなっているアーティストの顔をかたどったブロンズ製の記念碑板が飾られている。記念碑にはエルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックスなどがありここにランディが仲間入りをするという授賞式である! 午後1時からスタートということで12時に会場に到着。ギターセンターの外にはすでに大勢の報道陣がカメラをスタンバイしており『BLIZZARD OF OZZ』、『DIARY OF A MADMAN』の2枚のアルバムからお馴染みの曲が大音量で流されていて晴天の気温とともに会場に集まったファンの熱気も伝わってくる。
当日はミセス・ローズよりVIPパス(ランディの写真が入ったとても素晴らしいデザインのラミネートパス)を用意していただき、関係者入口より会場内に入るとギターセンター内が関係者の貸しきり状態、エントランスにスピーチ台、そして報道陣や大勢のファンが屋外のサンセット通りからエントランスに向かってあふれているという状況がわかった。 いち早くミセス・ローズ、兄ケル、姉キャシーの姿を発見し、真っ先に挨拶にいくとミセス・ローズが大きく目を見開き、「Hiroshi!」と笑顔で迎えてくれた。お元気そうで何よりそれが嬉しい!ケル夫妻、キャシー夫妻と子供たち3人で勢揃い。またローズ家の親戚の方々も大勢来ているようであった。 そしてQUIET RIOT仲間のルディ・サーゾ、ケリー・ガルニに再会の挨拶をしていると、オジーとシャロンも登場してきてミセス・ローズ、家族に挨拶してきた。アーティストも続々来場し、MOTORHEADのレミー、ザック・ワイルド、イングヴェイ・マルムスティーン、ヌーノ・ベッテンコート、MARILYN MANSONのジョン5の顔も見える。後で聞いた話によると今までこういった場には現れたことがなかったQUIET RIOTのオリジナル・ベーシストだったドリュー・フォーサイスも来ていたらしい。
エントランスに移動の場内アナウンスが放送され、いよいよ授賞式の始まりだ!外のファンの数もかなり増え歓声がすごい!報道陣のカメラの数も半端でない!熱気で蒸している中、私はスピーチする側の後方で立ち会うことができた。 ラジオDJの司会で一人ずつ紹介されながら次々とスピーチがなされていく。後期QUIET RIOTドラマーのフランキー・バネリ、そしてルディ・サーゾ。彼はランディとの出会い、QUIET RIOT、オジー・バンドとの経歴を話しながら、途中で泣いてしまった。ひしひしと彼の気持ちが伝わってくる。「オジーがローカル・シーンからランディに完全な自由を与え、彼の音楽の可能性を引き出した」というようなことも語った。
オジーの番になるとオジー目当てのファンたちが「オジー!オジー!オジー!」とオジー・コールをはじめる。今日はそういう日じゃないぞ!とばかりにそれに反発し、「ランディ!ランディ!ランディ!」と叫ぶランディ・ファンを私は見逃さなかった。オジーのスピーチは思いのほか短くまとめられ「ただの一日も、私たち家族が彼のことを考えなかった日はない。彼が私たちの心の中から消えることは決してありえない」と語る。そして人山の中から小さい体のミセス・ローズがスピーチ台に立ち、しっかりとした口調で今日のお礼を淡々と話す。「この素晴らしい日を設定してくれたギターセンターに感謝します。ランディの人生にとって重要なオジーとシャロンのお二人にも。また、最も大切なファンの方々に感謝します。こんなにも長い間 ランディを大事にしてくれてありがとう。ランディが皆さんの人生に特別な影響を与えたことがわかります。本当にありがとうございます」とても感動的でそれまでヤジに近かったクレイジーなファンの声もおさまった。最後にシャロンが「これは22年経った今、私たちが決して忘れない彼の才能の偉大さの証しです。私たちは決して彼を忘れない。」とスピーチして締めとなった。MTV「The Osbournes」放送以来、ジャンルを超えメジャーになった彼女の人気もすごい。
いよいよザックがブロンズを抱えてお披露目となったがブロンズを見た瞬間、がく然とした!!スペルの「RHOADS」が誤って「RHODES」になっている!四角いブロンズのプラークにランディの顔が立体的に施されている立派なものである。こんな大事なものこんなミスがあるとは、本当に信じられなかった。ブロンズを抱えたザックとレミーが険しい顔をしてスペルミスについて話している。せっかく盛り上がった授賞式だけにこれだけがとても残念だったが「I Don't Know 」のSEとともに授賞式は終わった。後日、ブロンズのスペルは正され、無事にRockwalkの壁に掲げられた。
●2007年3月19日 San Bernardino Mt.View Cemetery 25周忌メモリアル・デー・レポート 墓参は2006年12月6日のランディのバースデー・メモリアルにも来ていたので、3ヶ月前ぶりであった。 バースデー・メモリアルは30人くらいが集まっていたが、25周忌という節目だけに延べ200人くらいの人が集まり、過去最高の人数となった。また日本人も確認できた人数は12名、これも過去最高であろう。また今回はスペシャルなイベントとしてアメリカの映画会社 Dakota Pictures制作 の映画「Randy Rhoads Documentary」の撮影クランク・インとなった。公開は2008年後半とのことで、ずいぶんと大掛かりな映画になりそうでとても楽しみである。
天候は朝から曇っており気温は低くかったが、午前中から多くのファンが集まり、お墓のまわりにはたくさんの花などが飾られはじめた。毎年、私も献花プロジェックトで参加している日本のファンサイトRandy Rhoads Clubからはたくさんのくちなしの花でつくられた白いレスポールをかたどったフラワー・アレンジメントが捧げられた。アメリカのファンたちからも水玉Vをかたどったフラワー・アレンジメントが贈られ、これは白いドットの部分が花になっている。それに加えアメリカのファンが持参した3段積みの白いマーシャルも並べられたので一機にお墓がステージのように華やかになった。
特設テントの中ではQUIET RIOT時代とオジー時代のVTRが流され、来場者はローズ・ファミリーの到着を待っていた。Dakota Pictures のプロデューサーは適当に人選しながらインタビューをしはじめた。まさかとは思ったが私にもインタビューが求められた。5年前のフジテレビ特別番組「ランディ・ローズに捧ぐ」ではインタビューをする側であったが、受ける側となると緊張してうまく話すことができなかった。彼らはフジテレビ特別番組のVTRを何回も繰り返して観たそうで、日本の番組とかぶらないように違ったアプローチで制作することを念頭に入れたそうだ。昼過ぎには天候も良くなり、ようやくローズ・ファミリーの車が登場すると、撮影クルーもずっとファミリーの姿を追っている、クレーンのカメラも入るくらい大掛かりなものであった。
87歳になるミセス・ローズの体調が心配であったが、とても元気そうで安心した。ミセス・ローズは家族とともに杖をつきながらゆっくりとテントに向かうと集まった大勢のファンの前で恒例のスピーチをはじめた。彼女のまわりにはケル、キャシーとその娘二人、長男が見守っている。ここに来たファンにお礼の挨拶をするとともに、ミセス・ローズは日本人の常連ともいえる私と友人3人の名前を呼び、皆に紹介した。一人は現地に住む女性で番組でも大変お世話になった友人で、他の二人も何度もここに訪れている女性と男性で、今回は日本から一緒に来た友人たちである。
続けてミセス・ローズは今日がとてもスペシャルな日であると話しながら映画「Randy Rhoads Documentary」のこと、そしてランディの姪になるアリサ、ジェナ、甥のニックが紹介された。 またランディの彼女だったジョディも初めてお墓に来られた。25年経ってやっと気持ちの整理がついて決心されたのであろう。ランディの幼なじみであり、初代QUIET RIOTのベーシストのケリー・ガルニ、水玉Vの製作者カール・サンドヴァルも紹介され軽くスピーチをした。一通りスピーチが終わるとミセス・ローズにサインを求める人、ランディの思い出話しをする人、ファン同士の交流を深める人、それぞれの時間の過ごし方をしながら、ゆっくり時間が過ぎていった。この場にいた皆が名残惜しかったこともあり、ミセス・ローズとローズ・ファミリーは例年より長く、6時過ぎまでこの場にいた。世界中からここに集まったファンのランディに対する熱心さに驚くとともに、たくさんの人にランディは愛されているのだと再確認した思い出に残る一日であった。
後日、Musoniaに訪問した日の夜、キャシーさんは私達を彼女が経営するワインショップに招いてくれて、ちょっとしたワインパーティーを開いてくれた。毎回このワインショップに招いてくれては楽しい時間をいただいている。今回は近所に住む初期QUIET RIOTのファンクラブ会長のロリが思い出の写真アルバムを持参して来てくれた。そこにはとてもパーソナルなものであるが、ランディのQUIET RIOT時代の写真の数々があり、思い出話しとともに写真の説明をしてくれた。メジャーデビューができなかったQUIET RIOTが興味を示さないレコード会社へファンと抗議デモを起こした日の前夜、皆でデモ用のプラカードや横断幕などを作っている時の写真、QUIET RIOTのライヴの数々、ランディがイギリスに渡る直前に開かれたパーティの写真、どれもランディの歴史を語る、凄すぎる写真であったが、その時の思い出を話すロリとキャシーはとても楽しそうであった。そんな貴重で楽しい時間をいただき、25周忌メモリアルにふさわしい最後の夜となった。
Text by小島 裕史(Randy Rhoads Memorial Project)
※ミセス・ローズからメモリアル・デーに来られなかった日本のファンへのメッセージをいただきました。
「Ch.WeROCK 」Vol. 09でアップしています。

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