STEELHEART の母体だったバンドでギターを弾いていたクリス・リゾーラと、ベースのジェームス・ワードが、街中の噂だった“とてつもなく凄い声を持ったヴォーカリスト”、マイク・マティアヴィッチの存在を知って彼をバンドに誘ったのが'81年頃のことだった。2年後に5人編成となった彼らは、コネチカット州のローカル・シーンでは圧倒的な人気を集めていたが、やっとデビューに辿り着いたのは'90年の春だった。デビュー・アルバム『Steelheart』は日本で先行発売され、名曲となった「She's Gone」がブレイクした。マイクの驚異的な音域と声量はロック・シーンを轟かせた。同年4月、マイクとクリスはプロモーションで来日し、その秋にはライヴ公演も行った。芽が出るまでに時間がかかった彼らだが、その実力は日本だけでなく本国アメリカでも発揮され、1年後にはプラチナ・ディスクを獲得する。'92年、セカンド・アルバム『Tangled In Reins』を発表。正統派でスケール感ある彼らのサウンドはヨーロッパでも高く評価され、2度のツアーも行った。全ては順調のように思えたが…、やがて想像を絶するマイクの悲劇が始まったのだった。
SLAUGHTERとの全米ツアー中、コロラド州デンバーのライヴで、ステージの照明がマイクの頭上に落下し、直撃したのだ。鼻、頬骨、顎、そして背骨を砕いた大事故だというのに、その直後、なんと彼は1万3千人の観客の前で起き上がり、ステージ脇まで歩いたという奇跡が起こった。マイクはすぐさま病院に運ばれ、頭を28針縫うだけでなく、多くの記憶までもが失われた。夜中に家から2時間も離れたところを理由もなく運転していて我に返る…など、そんな症状が3年ほど続いたという。その事故によって家族、家、お金のすべてを失くし、失意のどん底を味わったが、幸い、あの “至高のハイトーン・ヴォイス”だけは神が残してくれたのだ。
'95年にはバンドを復活させ、翌年3rd・アルバム『Wait』を発表。日本を含むアジア諸国13カ国を僅か1ヶ月間で28本のショーを敢行。
ところがその後、最愛の母と、仲が良かった親友が相次いで白血病によって亡くなり、マイクは相当なショックを受けてしまい、暫く音楽活動から遠ざかってしまう。しかし、その後再度マイクは大きな転機を迎える。MOTLEY CRUEなどもプロデュースした有名なプロデューサー、トム・ワーマンから来た話を請け負うことになった。マーク・ウォールバーグ主演のロック映画“ロック・スター”(ザック・ワイルド、ジェフ・ピルソン、ジェイソン・ボーナムなども出演している)で、アルバム『Wait』からの「We All Die Young」と、他8曲の楽曲を提供し、マイクが主人公の吹き替えヴォーカルとして歌っている。
彼の音楽は非常に評価され、再度音楽シーンに返り咲くきっかけとなった。マイクは新たにメンバーを加え、STEELHEARTを再結成させることを決意。会見時では、普段なかなか体験できないような苦悩を乗り越えたマイクの気合が並大抵ではないと感じた。今はマイクではなく、本名であるクロアチア読みのミレンコ(Miljenko、ニックネームはミリ)に戻しての再出発だ。ユニークなヘアスタイルのニュー・ベーシスト、レヴ・ジョーンズは、MICHAEL
SCHENKER BANDやKOTTAK(SCORPIONSのドラマー、ジェームス・コタックのバンド)、BLACK SYMPHONYにも在籍していただけあって、注目のプレイヤーだ。
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STEELHEART:
Miljenko Matijevic - Vocal
Chris Risola - Guitar
T-Bone Andersson - Guitar
Rev Jones - Bass
Mike Humbert - Drums



