彼の名前を久しぶりに聞く人も多いだろう。僅か17歳でDIOの3代目ギタリストとしてオーディションに合格した、イギリス出身の期待のルーキーだった。先日、ROCKLAHOMA2008の取材にて、バックステージのカフェテリアでマーティ・フリードマンのバンドのクリス・カテロと食事をしていたローワンと再会した。新しいバンドのアルバムがリリースされるので、後日、ゆっくりと近況を聞く約束をした。どことなく少年っぽさが残っていたのが印象的だった。そしてその約束は彼が住んでいるロサンゼルスで果たされた。小さなアンプとパープルにペイントされたギターを持参で、この撮影に挑んでくれた。ギターは一発撮りなのに、話す時はシャイなのでテイク5くらい繰り返しながら…。
ローワンは5歳からギターを弾き始め、ジミ・ヘンドリックスやエディー・ヴァン・ヘイレン、ランディー・ローズなどから影響を受けた。クレイグ・ゴールディが脱退した後にDIOが新しいギタリストを探していると知り、DIOの'84年のアルバム『The Last in Line』の曲を全部覚えていたローワンは、自らデモテープをレコード会社に送った。半年後に「興味ありません」という返事が来たので、それからDIOのファンクラブに電話をしてみたところ「テープを送ってください」と言われ、そのテープを聴いたロニー・ジェイムス・ディオ自身が彼をオーディションに招いてくれたのだ。まさか自分が合格するとは思わなかったが、オーディションを受ける前に彼の父がこう言ったそうだ。「結果は気にせず、緊張しないで楽しんで来い。大好きなバンドと演奏する経験が出来るし、無料でアメリカまで行けるんだから」
ローワンが参加したアルバム『Lock up the Wolves』がリリースされた'90年は、グランジを初めとしたオルタナティブ・ロックがメインストリームとして確立しつつ、それまで全盛期のピークを極めていたHM/HRシーンが音楽的な変化を迎え始め、DIOもバンドとして低迷期の渦中にいた。そんな時代的な背景もあり、ローワンの加入は賛否両論の中、どこか地味な印象もあったかもしれないが、実はこの少年は、ずば抜けたメロディーセンスとギターテクニックを持ち備えていた。ソロの構築も内容も非常に濃厚な若さが漲ったティーンエイジャーらしくても、10代に思えない腕利きのギタリストだった。
'91年にロニーがBLACK SABBATHに復帰した時、ローワンは実際に解雇された訳ではなく、長いことDIOファミリーとしてちゃんと生活面もケアされていたそうだ。しかし、暫くすると、以前ロニーのマネージメント(ロニーの奥さんのウェンディが経営)に属していた、LYNCH MOBを辞めたばかりのオニ・ローガンとVIOLET'S DEMISEというバンドを組んだ。ALICE IN CHAINSなどを手掛けた敏腕プロデューサー、デイヴ・ジェーデンを迎え、アトランティック・レコードと契約したものの、リリースまでに至らなかった。ロニーがDIOを再始動させても、このバンドの成功を信じ、4年も費やした結果がそれだった。
その後は失意の中、いくつかのセッションに参加した。なんと、日本の大ヒットドラマ「ロング・バケーション」(木村拓哉/山口智子主演)のサントラを手掛けたCAGNETのギタリストとして、アルバム『groove radio』をレコーディングしていた。それから'98年にオーディションでVASTというバンドに加入、ヨーロッパや全米をツアーし、WEEZERにバックアップされたAM RADIOでは彼らと全米や日本でもツアーを一緒に回った。'00年に彼の高いテクニックを世に広める材料になった教則ビデオ『Speed Picking』をリリース。他にはHAPPY BIRTHDAYなど、いくつかバンドを渡り歩き、'05年にフィンランドのALTARIAのベーシスト、マルコ・プッキラと共にWICKED OUTLAWというプロジェクトを結成。レコーディングにヴィニー・アピス(HEAVEN AND HELL)も加わったが、フィンランドとLAの行き来が容易でない為に、フルアルバムは作られていない。
'06年よりARMORED SAINTのジェフ・ダンカンと、ショーン、マットによるダンカン3兄弟のDC4のメンバーとして加わった。ROCKLAHOMA2008ではサイド・ステージに出演し、今年10月にローワンが参加してからの初のアルバム『Explode』がリリースされる。へヴィーメタルのARMORED SAINTとは異なり、どことなくVAN HALENやKISSの影響を受けている骨太な王道のハードロック・サウンドを貫いている。
19年前、大御所に認められてアメリカに渡った17歳の少年は、それ以来ずっとロサンゼルスに居住している。
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